いつも夢のなか

5年前の自分に担降りブログ書いてるよなんて言っても信じてもらえないと思う。ほんとに、まさか、自分が書く日が来ようとは。

 

 

 

 

2019年6月14日をもちまして、

わたしは有岡くんの担当を降りる運びとなりました。

 

いや、本当はもうとっくに降りてたのかもしれない。ある日を境に(この話は後ほど) 降りたいなあという感情が芽生え始め、家族やお友達など沢山の人たちに相談に乗ってもらっていました。ダラダラと言い訳やら愚痴やら、ほんとに面白くも何にもない話を「わかるよ」「もっとゆるく考えてみたら?」と親身になって聞いてくれて、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。そしてありがとう。

 

ようやく?やっと?決心がついたので忘れないうちに文字にして残しておきたいと思います。(これ言ってみたかったやつ!!!)

 

 

 

 

5年前の7月19日、わたしの有岡担人生が始まりました。金田一少年の事件簿N(neo)の第一話を姉と観ていたとき。

わたしはある人物に目がとまりました。はじめちゃんにくっついている髪の毛ふわふわのメガネボーイ……。そうです、佐木竜二役の有岡大貴です。これが有岡くんとの出会いでした。

正直最初はグロい系が苦手で金田一を観るのが嫌で、姉に誘われてしぶしぶ観ていました。

案の定、グロい状態で死体見つかるわホラー要素あるわで途中で観るのやめたんだけど。ずっとメガネボーイが忘れられなくて、気付いたらGoogle先生で調べていました。

金田一少年の事件簿 ドラマ」で検索して出てきた "有岡大貴" の文字と顔写真。なんだこの子。めっちゃかわいい。

 

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犬みたいなお顔だな、かわいいな~ととにかく可愛い可愛い言っててそれと同時に、エッ!ヘイセイジャンプなの!?ってめっちゃくっちゃにびっくりしたのを覚えています(笑)

有岡くんに出会う前のわたしは、ジャニーズ無知で、どちらかというと「何がかっこいいのかわからない」「ジャニーズとか絶対好きにならない」という毛嫌い側の人間でした。

そんなわたしが突然有岡くんかっこいい~かわいい~好き~と言い出したら当然驚くのは家族。なんかめっちゃ心配されたなあ。お母さんにはジャニーズ!?嘘やんいけるん!?(?)と言われ、姉にはえ~ブサイク~と言われ(そんな姉も9月5日のミュージックステーションで無事に伊野尾沼に落ちます)、一度はファンになるのを思いとどまったけど、ヒルナンデスで食リポしたりイジられる有岡くんを見て好きが止まらなくなって、ファンにならざるを得なくなりました。有岡くんってこわい!!

 

 

 

 

それからは毎日YouTubeでJUMPの動画を見たりドル誌を買ったりCDを買ったりFCに入会したり……

とにかく楽しい!!!ジャニーズバンザイ!!!!

そんな矢先決まったアリーナツアー。当時はまだ事前振込で、中学生だったわたしはお金が無くて、大阪1公演だけに申し込みました。有岡くんとJUMPに会いたい!の一心で勉強も部活もしぬほど頑張った。そして迎えた当落の日。NTTドコモに毒を吐きつつ、300回かけてやっと繋がった電話口から聞こえた当選の言葉。泣いた。(あの瞬間ってめっちゃ震えたよね?)姉と叫んで暴れて、連番する子に電話で当選を伝えてまた泣いた。嬉しかったな。

コンサート当日。チケットが届いてスタンド席で遠いな~って思って会場入りして腰抜け。スタトロ最前でした。まだ近さを知らずにキャーキャー呑気に楽しんでいたわたしに運命の時間がやってきます。アンコールで下手からスタトロで現れたのは紛れもなく有岡くんでした。もう訳も分からずにとりあえず必死にうちわを振ったけれど、まあ~~見事に干されました!でも右隣のお友達は有岡くんの腕触ってるし、左隣の姉はやまちゃんにファンサ貰ってるしでとにかく挟まれたわたしは不憫だったっていう思い出です。いや、冗談です。

この日見た有岡くんはキラッキラで眩しくてかっこよくて、間違いなくアイドルでした。魅せる歌声とダンス、コロコロ変わる表情。ずっと目が離せなかった。瞬きをするのも惜しかった。本当にとんでもない人を好きになってしまったと思いました。完全に沼でした。これが初めて会った有岡くんの思い出です。

 

 

 

 

それから掟上今日子の備忘録に出演して、大野くんとパズドラのCMに出演して、2015年って凄かったな。初冠番組いたジャンのレギュラー放送が始まったり、24時間テレビのメインパーソナリティ務めたり、ワクワクもあったし、ドームで初単独カウコンもして。あ~楽しかったな。

2016年、2017年こそJUMPの勢いは凄かった。何かしら誰かが仕事決まっててドラマもバラエティも映画も舞台もあってドームツアーもして、有岡くんに関してはFB単独表紙の夢も叶えて。この2年で何冊単独表紙出した!?ってぐらい個人での仕事も増えたね。本屋に並ぶ有岡くんの表紙雑誌を見て嬉しくてにやにやしながらレジに3冊持っていくと「こちら全て同じ商品になりますがよろしいでしょうか?」って聞かれてほんとに恥ずかしくてしぬかと思ったけどもうそれさえ嬉しくて泣きそうになりました。(病気)

 

 

 

 

10周年を迎えて、念願だった紅白出場も果たして、どんどん夢を叶えるJUMPのファンでいれることが本当に幸せで誇りでした。

そんなとき。圭人がアメリカへの留学と2年間グループ及び芸能活動の休止を発表。一瞬で頭が真っ白になった。圭人は必ず戻ってくる。わかってはいるけど、心から「いってらっしゃい」と送り出すことは出来なかった。今が大事な時期だからこそ、ずっと9人でいて欲しかった。4大ドームも2年目の紅白も、9人で叶えたかった。どんな仕事もやっぱり圭人がいないJUMPはぽっかりと穴があいたみたいで、おそらく周りが思っている以上に寂寥を感じていました。

たった2年、されど2年。わたしにとっては後者でした。もう同じ場所で「おかえり」は言えないけど、今は、ひと回りもふた回りも大きく成長した圭人の姿が見られるのを楽しみにしています。

 

ちなみに、まだこれは担降りの直接的な理由ではないです。

 

夏のアリーナツアーは決まるのがだ~いぶ遅くて、(でも今冷静に考えたら、圭人のことでいろいろあった後に短いスパンでツアーやりま~す!!って言われてもちょっとまって…ってなったんだろうなとも思います。)しかも、地方をメインとしたツアーで、キャパの圧倒的少なさに呆然でした。地元から一番近い会場でもキャパが8,500人で、えっこんなん当たるわけないじゃん…とボヤきながらも、1公演だけでいいから当たって…!!という気持ちで申し込みました。

そして姉名義で見事当選!!これで今年も会える…!!と思ったのも束の間、魔の手はすぐそこまで迫っていました。そうです、台風24号です。

 

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楽しいはずの当日までの時間は不安でいっぱいでした。多少ずれるから行けるよ大丈夫!と沢山の人に元気づけられて、コンサート前日に和歌山へ向かいました。でもこの時点でもうフェリーは欠航になっていて、ギリギリでバスを取りました。まあなんだかんだ言っても会えると思っていたので、いつも通り遠征を楽しんでいました。

そんなときでした。携帯に届いた1件のメール。そこには "コンサート中止" の文字。わたしたちは、駅のホームで人目もはばからず泣きました。すぐにお母さんに電話して散々泣きました。しばらくして落ち着いたわたしたちは、とりあえずグッズを買いに行こうと会場へ向かいました。会場に着いても雨は降り続けていたけど、人が少なくてグッズは10分程度で買えました。それから歩いて5分のところにある某寿司チェーンで夜ご飯を食べて、そのときにはもう2人で冬のドームは絶対行こう!と前向きでした。

でも、お店を出たときにどこからか聞こえてきた声に立ち止まりました。

「うわ~あの子たちコンサート行けなかったんだね、可哀想」

ちょうどその日の公演が終わって、ホテルに向かう途中、大勢のファンと鉢合わせました。より一層雨は強くなっていたのに、聞きたくもない同情の声とレポは濃く耳に入ってきました。集団から抜けて、コンビニで今日の夜食と明日一日ホテルで過ごすための食料を買いました。コンビニを出るとき、雨に濡れた床で思いっきり転んで恥ずかったのと痛かったのとなんでこんな目に遭わなきゃいけないんだという焦燥感で一気に涙が溢れました。

夏に肺炎で入院して、高熱と咳で毎日本当に苦しくて、これを乗り越えればきっといいことがあると信じて点滴治療も頑張ったのに。悔しかった。結局一晩中泣きました。この日は本当に人生で一番辛い日だったと思います。

 

有岡くんに会えることが生きがいだったわたしにとって、長期間会えていないことはかなりしんどかったです。それが理由で追うことに疲れて、レギュラー番組もJUMP表紙雑誌も流していました。

そうなると、ファンでいることの意義がわからなくなって、やんわり降りたいな~と思うようになりました。おそらく "担降り" について意識するようになったのはこの頃からだと思います。でも、全然降りる気はないみたいな複雑な感じでした。

 

 

 

 

 

そんなわたしの前に彗星の如く現れたのが今の担当、阿部亮平くんでした。

いや、ほんとにこれ偶然だったのか必然だったのかすごい話なんですけど、いつもは見ないのにたまったま見ていた少クラで、めっちゃイカつい衣装着てバッチバチに踊ってるグループがいたんですよ。で、気になってグループ名を見て、す、Snow Man?!?!って。

元々Snow Manの存在は知っていて、でもわたしが知っているSnow Manはアクロバットがすごくて、さわやか~なイメージだったのでとにかくびっくりしました。わたしは気付けばその不健全なイケチャラパフォーマンス(言い方)に釘付けでした。そして、定期的にカメラに抜かれるフードを目深に被った青年に目を奪われました。

なんだこの人!!!めちゃくちゃカッコイイ!!!タイプや~~~~~!!!

名前を見てこれまたびっくり。彼こそが阿部くんでした。正直3度見ぐらいしました。マジで。わたしが知っている阿部くんは「明日の天気は晴れですっ!(ニコッ)」みたいな、爽やかで絵に書いたような好青年!っていうイメージだったので、勝手に混乱状態になりました。これが阿部くんとの出会いでした。

 

 

 

 

阿部くんのことが好きだと気づいてからはもうそこは沼でした。

Snow Manのことを調べたり、色んな雑誌をチェックしたり、毎日が楽しくて有岡くんを好きになったばかりの無垢な気持ちを取り戻したような、2回目の青春時代がやってきたような気がしてとても嬉しくなりました。

 

 

 

 

そんなときに出た有岡くんの熱愛報道。

わたしも最初はどうせガセなんだろうな~と全く信じていませんでした。でも、テレビや新聞など色んなメディアででかでかと報道されているのを見て、ああこれはやばいやつだと察しました。今まで熱愛報道なんて出たことも匂わせたことも一度もなかった自担の色恋沙汰はかなりメンタルにきました。

めちゃくちゃにかき乱されたわたしの心とは反対にどんどん売れる相手の女性。CMでもドラマでもよく見かけるようになって、それがとにかく悔しかったです。完全なる売名行為だったと思います。今でもその報道が事実かどうかわからないけど、火の気のないところに煙は立たず。そんな報道が出るようなことがあったのは事実なんですよね。

 

自担には恋愛してくれ~派のわたしでもやっぱり辛くて泣いたりもしたけど、自担は自担だ!と割とすぐに立ち直りました。

本当に辛かったのはその後でした。クリスマスイブイブに入った名古屋ドームが報道後初めてのライブでした。報道が出たから会いたくないというわけではなく、いつもの笑顔やパフォーマンスが見られなかったらどうしようという不安からあまり会う気にはなれませんでした。でもいざ始まってみれば、大好きな笑顔と大好きなダンスで不安はすぐに吹き飛びました。ただただ良かったと思いました。

 

でも、アリーナで色んな子に必死にファンサをする有岡くんを見てそれまでの楽しい感情は一瞬でなくなりました。これでも5年有岡くんを見てきたわけで、言い方は汚いけど完全に媚び売りファンサだと思いました。

一帯に無闇に構っていたのがとてもショックでした。ひとりひとりに丁寧にする有岡くんのファンサが大好きだった。それだけは貫いてほしかった。

嬉し涙じゃなくて悲し涙でお別れするライブは初めてでした。

 

それからもずっともやもやした気持ちのままゆる~くゆる~く有岡担をしていたけど、相変わらず雑誌もレギュラー番組も見ずに録画が溜まっていくだけ、みたいな状態でした。

そんなときでも阿部くんやSnow Manが出る雑誌やテレビ番組は欠かさずチェックして、いつの間にか全く有岡くんを追えてませんでした。

 

ずっと悩んで保留にして結局戻っての繰り返しだったけど、ダラダラした気持ちでファンを続けるのはやっぱりダメだと担降りすることを決意しました。

有岡くんに申し訳ないというよりかは、そんな自分が嫌だったから、です。わたしは常に120%好きな人のファンでありたいと思う人間なので、大半の人が湧いたり冷めたり波があると思うけど、自分にとってはそれが辛いことでした。

じゃあなぜ、今まで担降りしなかったのか。簡単に言うと失うのが怖かったからです。

有岡くんがいない毎日はどんなものなんだろう。仲良しのJUMP担とはどうなるんだろう。これからまた好きになるかもしれない。そうしたら降りたことを後悔するかもしれない。

色んな葛藤がありました。でも家族や友達に話を聞いてもらって、もっと楽になろうと色々考えるのはやめました。そうしたら案外すっと降りることができました。降りてから心が軽くなったし、逆にそこまで必死になってファンしてたんだなあと思いました。

 

 

 

 

授業中有岡くんの写真を友達に見せてにやにやしていたら怒られた理科の授業も、毎日山田担の友達と自担の奥さんになりたいと言い続けた帰り道も、自担との妄想を書いた紙をクラスの男子に見られたのも、へそ出しして馬鹿みたいに派手な格好で行ったコンサートも、余韻で騒ぎまくって運転手さんに本気で怒られた帰りのバスも、有岡くんのことばかり考えていて成績が下がってお母さんに怒られた夏も、全部楽しかったな。

 

有岡くんのファンでいられたのはたった5年という短い間だったけど、数えきれないほどの幸せをもらいました。グループとして、個人として、夢を叶える瞬間を沢山見られてとても幸せでした。

辛いときや苦しいときに、一番の支えになってくれたのは間違いなく君でした。強くて優しくてかっこいい有岡くんが大好きで、自慢の自担でした。沢山の出会いと最高の時間をありがとう。離れてしまうけど、ずっと応援しています。

 

これからも有岡くんはずっとわたしの夢です。

 

 

 

 

何年何十年先も君が輝き続けられますように。